ゆゆ式 Advent Calendar 2020 19日目:DDED、あるいはゆゆ式と音楽

清水茉菜さん、おめでとうございます。
当日になってから気付いただめなやつ。
反省ですね。


時は戻って。12月18日、夜。

なんとかキリのいい文字数で収めきったので、あとはもう投稿する準備を整えるだけだな……などと余裕の構えでいたはずが。何を血迷ったかもうあと数時間というところで追記し始めております。キリよくなくなっちゃったけどまあいいや。

それもこれも公式が突然こんな告知を飛ばしてくるのがいけない。

 そんなん予想できるか(ありがとう)。


はてさて、どんな意味が隠されているんですかね。頼むよ。

加えて一挙配信もやってくるとのことで。あなうれしや。

実はゆゆ式見たことないんだよね……という方。もしいたら見よう。是非見よう。おめでとう。

いやあ、公式垢が告知で元気なの見るだけでこみあげてくるものがありますね。


ということで追記終わり。そして本文のはじまりはじまり。


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以下の文章は「ゆゆ式Advent Calendar 2020」19日目の記事に該当します。

adventar.org

ゆゆ式Advent Calendarへの参加は2018年以来の2度目、そもそもここ暫くまともに文章を書き上げた覚えもなし。そのうち感覚が掴めてくることを祈りつつ、つらつらと書き連ねていきたい所存です。

前回は「ゆゆ式と常識」というテーマで雑文を拵えておりました(もはや懐かしさすらこみ上げてくるところ)。何か目新しいことを提供した覚えはないのですが、参考文献もろくに用意せず一晩で書き上げたにしては好感触だったように記憶しております。

あとはたまたまとはいえ、先生から言及いただけたというのがなにより嬉しかったですね。

正直、今一度整理しなおしておきたい気持ちもありますが。触れ直してしまうといつまで経っても本題に到達できなくなることが容易に想像されます。ここは二、三言に留めておきましょう。まず一つは、松本先生とPCに関するあれこれ。これほどのイレギュラーを何も気にすることなく見過ごしていたのはいただけないですね。そしてもう一つ。……まさか、本文中にて先生への呼称周りで提起した内容がそのまま10巻収録分に収められているとは思いもよりませんでした。おかげさまで、10巻購入後すぐ「雑誌購読勢の方々はあの記事どういう面持ちで読んでたんだ……」と寒気が走りました。まあ、言い換えれば9巻まで積み重ねてきた読みは正しかった、ということに他ならないので。それはそれで良しとしますか。


さて、今回は身も蓋もないことを言えば「好きなものと好きなものを無理矢理繋げてひとネタ打とう」というヤツです。相も変わらず考察未満の投げっぱなしジャーマンを矢継ぎ早に繰り出してやろうという魂胆ですが、どうか大目に見ていただきたく。

それでは。

(注: 雑文とはいえ引用の体裁をろくに整えておらず、申し訳ないところです)


ゆゆ式の音楽

ゆゆ式「の」音楽、というお題目が即TVアニメ『ゆゆ式』へと直結するのは、まあ妥当でしょう。本節で取り上げるのは劇伴、即ちサウンドトラックに関するあれやこれやです。

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歌も勿論好きですが、ここでは『Winter Flower』のフル尺がお目見えになる日は果たして訪れるのでしょうか……とだけ。

とりあえず。

過去の自分よありがとう。

付言するなら、その存在を独立したものとして位置付けるタイトル『Feeling good (nice) wind』、さらには随所に挿入されたイラストの現実的な非現実感。こういったところも外せない要素ですね。


話を戻して。アニメ『ゆゆ式』中で流れる劇伴に関する記述として有用な文献としては、以下の4つがまず挙げられるかな、と思います。

  1. 劇伴レポート
     (URL: https://www.yuyushiki.net/contents/hp0009/index00220000.html )
  1. ゆゆ式劇伴リスト
     (URL: https://yuyushiki-gekihan.hatenadiary.org )
  1. ゆゆ式 オリジナルサウンドトラック「Feeling good (nice) wind」レビュー
     (URL: https://ameblo.jp/ishinkaia/entry-11575461379.html )
  1. "Feeling good (nice) wind" asuka sakaiというアーティストについて - ゆゆ式 Advent Calendar 2014
     (URL: http://neg.hateblo.jp/entry/2014/12/09/235010 )


1は劇伴制作時の公式レポート、2-4は有志による紹介記事です(読んでいるとこれ以上何を書くことがあるのやら……という気分になる充実っぷり)。今回は上記の記事をまず提示したうえで、ドラマCDやらOVAやらの展開も進んだところでひとつ追記できることでもあれば……と文章に起こした次第です。

というわけで、ひとまずOVAおよび同梱ドラマCDの分まで更新した劇伴リストを掲載しておきましょう(図ですみません)。

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これにフィルタかけるだけでも色々と遊べるよな、と思ったり思わなかったり。劇伴におけるゆゆ式の代名詞、といっても過言ではないTrack3「TekiPaki (Yui's Theme)」が流れていない回もある、とか。あるいはドラマCDでは積極的に未使用曲にスポットを当てている、とか。

個人的に声を大にして訴えたいのは、Track 15「High-Tension」は当該サントラ中でも出色の出来だと思うので日の目を見ていない理由がわからない、ということですね。ボーナストラック的扱いで一発録りされているTrack39「Affection (ED Theme Arrange)」ともども、もし次の機会があれば何としてでも劇中で聴きたいものです(なおTrack25「March」は若干使いどころが悩ましい曲調というのもあり、未使用もむべなるかな)。


使用履歴について言及したところで、お次は中身です。やはり先に挙げた記事にもあるとおり、生楽器をふんだんに活用した録音というのは豪華というほかないでしょう。トロンボーンをアルプホルン的に活用したり、バグパイプなんてものも起用してしまったりと、欲しい音色にじっくり向き合っている感があり非常に好感触です。電子ピアノなんて、一部の楽曲ではクレジットにしっかり「この曲はRhodes(Steely Danの名盤『Aja』で聴けます)、この曲はWurlitzerQueenの名曲「You’re My Best Friend」で)」……と明記されていますからね。

それこそ、Track 30「FuwaFuwa (Yukari's Theme)」でファゴットともトロンボーンともつかない中低音がするのでクレジットを見てみるとその記載は無く、代わりにメロトロンの文字が見えたときの驚きようときたら。そんなもん使ってたのか。ご存じない方はぜひ色々検索してみて下さい。情報処理部ですね(アナログサンプラーの音色変更なんてのは見てるだけで面白いですよ)。

……いや、まあ縁のテーマではトライアングルらしき音が聞こえる気もするので、そのあたりどこまで完全な記載か不明なんですが。そんな音源メロトロンにあるのか?知らんけど。

ということで、まずは使用される楽器の多様さ・細やかさに目を向けましたが。ここはひとつ、使用楽器のほうのクレジットも表に起こしてアルバム全体を俯瞰してみましょう。

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見えない!

……やはり目立つのはピアノ、それからマリンバクラリネットでしょうか。特にマリンバは、先に挙げた「TekiPaki」や頻度の面で十中八九印象に残っているであろうTrack7「Monopole」から、Track18「Thinking Time」あるいはTrack22「Marimba Dance」のようなピンポイントで効果的に活用される曲に至るまで、縦横無尽に活躍します。同様にクラリネットは「TekiPaki」に「Monopole」、さらにはTrack17「PoyoPoyo (Yuzuko's Theme)」というこれまた要の一曲でもメインを張ります。やはりこれらの楽器なくしてゆゆ式サントラは語れません。

……とはいいつつ、こうして挙げ始めてしまうとあれもこれも、となるのが道理であり。Track6「Good Grief!」やTrack8「Slow Tempo (Oka-san Theme)」のリコーダー、種々の弦楽器、はたまた欲しいところで鳴ってくれるグロッケンやトライアングル、クラリネットに言及しておいてフルートに言及しないのは、それを言い出したら金管も……。とどのつまり、どの楽器も効果的に用いられているということですね。


さらに、こちらも触れられて然るべきその録音の良さについて。金物類からキックやベースまで幅広い帯域が鮮明に聴きとれる分離の良さ、曲調に応じたメリハリ……といった要素をしっかりまとめあげられている印象です。このあたりは小編成アンサンブルの強みでしょうか(録音まわりの技術にはとんと疎いので何とも……ですが)。いずれにせよ、アルバム一枚聴き通してしっかり満足できる構成とボリューム、素晴らしいですね。


……なんだろう、サントラ販促になってきたな。調べた限り、レコチョクとdミュージックでダウンロード販売している様子が確認できました。recochoku.jpまずはサブスク大手で配信願いたいところですね。

いっそドラマCD『If you want to be happy, be.』ともども再販すればいいのに。してください。

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このジャケ良すぎるんだよな(11月末あたりからほぼ毎日聴いているという事実)。


閑話休題。今度はこれらの曲を作曲なさったsakai asukaさんについて(一応twitterに則りこちらの名義のままで記載します)。直近では、とある洋ゲーの音楽担当として今なお変わらぬセンスを発揮されておりました。こちら私は音楽しか触れられておりませんが、サブスクにサントラがありますのでリンクを貼っておきます。

open.spotify.com

見たところ作曲は複数人体制のようす。まあsakai曲に関してはクレジットを見ずともそれとわかる「らしさ」が溢れているので、ゆゆ式サントラが好きな人なら是非拝聴願いたいところです。


最後にいくつか好きなアレンジに触れてこの節を締めるとしましょう。

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まずはいつ見ても理解の範疇を飛び越えていくこちら。この人がこの作品を引っ提げて復活なさったことを知った当日の喜びようが懐かしいですね。あなうれしや(他作品もみな楽しいので、これが気に入れば是非巡回をおすすめしたく)。

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あとはこのあたりも非常に高クオリティなアレンジで◎です。酒飲みてえ、となること請け合い。

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……なんというか、完全に趣味ですが。絶妙に某バンドの曲を匂わせてくる雰囲気なので。まあ、日常に生きる少女ですからね。こじつけ。


ゆゆ式で音楽

さてお次は、ゆゆ式「で」音楽、ということで。まあこちらも紹介が目的ですので、さくっといきましょう。ゆゆ式を使って音楽を奏でる、とくればカットアップやらRemixやらでしょうか。このあたりかな。

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並べるまで気にしていませんでしたが、全て作品関連曲という。

Nerdtronicいいよね、というのはさておき。音(声)の種類が豊富で且つ緩急に富んでいる、ということは即ち素材の強度が高いというわけで。そこに作品の色もうまくハマってくるとなれば、その守備範囲の広さにも頷けようというもの。もちろん一発ネタ系も好きです。

うん、本当はもっといろいろ貼りたいところですが、試しに並べてみたら本当にキリがなくなったので控えます。まあ、たまに漁ってみるとやっぱり楽しいですよ。勿論かねてより好きなあの作品を久しぶりに、というのもまた一興。

 
ゆゆ式に音楽

そしてそこからのゆゆ式「に」音楽、ということですが。まあ要するに、ゆゆ式という作品世界にまた異なるライン上から拾ってきた音楽をあてがう、ということで。まずはこちらをどうぞ。

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いやあ、いつ見ても良いですね。ゆゆ式IDMの親和性、という言い方をすると苺ましまろエレクトロニカのそれを想起なさる方も多いでしょうか(かくいう私もその一人です)。しかしこの動画においては、(作中に仕込まれたCDジャケットのような)直接的な描写を介して関連するわけではなく、作品に横たわる空気が曲の抱えるある種のノスタルジーを通じて浮き上がっていく様を目の当たりにするわけですね。感覚任せの文言。

思うに、この動画における映像と音楽との重ね合わせの妙というのは。ただ日常を一定のスピード感で描くでなく。ときに停滞し、ときにせわしなく動き回りつつ。巡り巡ってまた元いたところへと回帰し、そのまま続いていく日々を匂わせる……というその構成が、ゆゆ式という作品の一筋縄ではいかない部分を巧みに表出できているところに起因するのかな、と。

まあ御託はいいからとりあえず見ましょうという話ですね。身も蓋もない。


その他、個人的に今でも好きな作品をいくつか挙げておきましょう。

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唯はまだか(見つけてないだけならすみません)。

それにしてもこのゆゆ式という作品、存外ローテンポな音楽との相性がいいんですね。そう言われてみると「ギャグの応酬と生じる間の駆け引きが一つの要」ということは即ち「間を制するものはゆゆ式を制する」ということなのやも。

この系譜でいくとやはり縁の誕生日は要注目ですね。2020年は↓でした。

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毎年このタイミングで名作を投下なさっているこちらのお方、今年は先に挙げた『縁 For Jack』の方との共作ということで、流石のクオリティでした。こういうノリが好きならお二方とも巡回推奨です。

それにしても、アニメ放映時はもとより今なお傑作がポンポン出てくるというのはありがたいものですね。昨今のアニメ視聴者が在る状況というのはこれらの文化からだいぶ隔たったところにあるやもしれませんが、どうなんでしょうね。

……あ、忘れちゃいけないのは三上先生がいち早く(時にはMAD愛好家の面々よりも早く)巡回していた、という事実。そりゃ制作意欲も湧こうというものでしょう。


ゆゆ式を音楽

おお、やっと本題にたどり着きました。これを書こうと思っていた。さて、ついに表題が句としても節としても中途半端となりましたが。ここでは「ゆゆ式を音楽として奏でよう」……ではなく、「ゆゆ式を音楽的に解釈しよう」、という試みについて述べていきたいと思います。おそらく、人によっては聞いたこともない音楽用語がわんさか出てきて何言ってんだかさっぱりわからん、ということもあるかと。こればかりはすみません。都度なにか例示でもできれば、とか考えつつ。

何にせよザ・主観というほかない妄言なので、そんなもんかねえ……という程度のふわっとした感触で読んでいただければ幸いです。なお書き手は楽曲解釈、所謂アナリーゼというものとは縁遠いところにいる人間ですので、以下記すあれやこれやが噴飯物の適当さであったとしても勘弁いただきたい所存です。予防線は重要。お坊さんは修養。どっとはらい(まだ始まってもいない)。

とはいえ、「ゆゆ式を音楽的に解釈する」と大見得を切ったものの。どういう切り口から、となるとこれまたなかなか難しいところですね。ここでは、関係性の観点から攻めてみようかと思います。というわけで以下、戯言。


(1) 1+1 と 3-1

まずはゆずこ・縁・唯の三人組が醸し出す空気に関して。あれやこれやと考えを巡らせた結果、先日も取り上げられていた「任意の二人に着目した際の関係性」に対し抱く感情がうっすらと見えてきました。それは端的に言えば「二人がいる」のではなく「一人がいない」のだ、ということです。そして、ここに至る過程で出てくるアナロジーが「ゆゆ式を音楽的に解釈する」というお題目。

先に結論から提示してしまえば、この3人組の会話はジャズにおけるピアノトリオ型の関係性として提起できるように思われます。まあ言うまでもなく、音楽のほうも会話のほうもそういったステロタイプな役割解釈に収まるはずがないのですが。前者で言えばどのパートであろうとソロをとりますし、後者になるともっと当たり前のこととして、常にそういった会話劇然とした会話に終始するということは有り得ないので。一つの状況の仮定として、ゆずこが会話の推進力を担い、唯が会話の舵を取り、そして縁が会話に華を添える。これはちょうどドラム・ベース・ピアノの役割に置き換えることができる……気がします。縁に関しては、役割だけみれば旋律メインのパートであれば必ずしもピアノである必要はないのですが、そこはいいとこのお嬢さんということで。ゆずこと唯は芸風(人間ドラムセット……どころではない気も)と声のトーンというところでも良い一致を見せてくれました。

ここで、先のアナロジーにおいてジャズを想定したことの意味として「即興」と「型」という相反する性質を併せ持つ要素が浮き出てきます。まず、あのアクロバティックかつインタラクティブな会話はかなりフリージャズ的というか、例えば「まず存在する譜面というものを起点とし、演奏という行為を通じてそれを表出する」という形態が基本的に指向されるクラシックのピアノトリオとはやや食い違います。一方で、衝動に身を任せるようなスリーピースのパンクなどもまた違ったバランスをとるといえるでしょう(意外とこういう形態もシステマティックというか、衝動的なようでありつつ型は型として背後に存在するのでややこしいですが)。後者などは、勢いそのままに駆け抜ける3人組など親和性が高そうですね(ぱっと思い浮かぶところでいえば『三ツ星カラーズ』の3人あたりか)。まあ正直とり方次第で如何様にも言えますが、ここではそういうものとしておきましょう。

さて。想定されたアナロジーから、二人だけの状況というものはドラムレス・ベースレス・ピアノレスという3パターンのデュオとして並べることができます(もちろん、ここでの議論では前提として三者揃い踏みの状態で奏される曲を頭に浮かべている必要があります)。ジャズはどうしても役割が展開によりけりなので不在の意味を一様に規定するのが難しい、ということで……これまた雑な例えを引き合いに出しましょう。梁がなければ安定せず、基礎がなければ道筋が立たず、かといってその二つだけではうまく機能しない。これは三人の会話の性質へと話を戻しても通ずるものがあるように思われます。

結果として、唯と縁では会話の切れ目が曖昧になりやすく、縁とゆずこではとめどなくボケ倒しやすく、唯とゆずこでは会話が理解の範疇に収まりやすい、とみましょう。この会話の型の変化が、間接的に不在の三人目を意識させ、結果的に二人で話していてもその三人目が話題に上ってくる。このようにして、会話の様式そのものから「そこに存在する二人」は「三人目の不在」として読み替えられる、と考えるわけです。

一応補強しておくと、これらの提起の根本には、いたるところで言及されている「ゆずこと唯は縁を笑わせたい」「ゆずこと縁は唯を茶化しているだけ」という原動力があります。わざと大鉈を振るった感が否めないものの、こういった解釈もありでしょうか。だいぶよくわからない楽しみ方ですが、面白そうに感じてもらえるものなんですかね、これ。

まとめ1、ゆゆ式はジャズ。「ゆゆ式ジャズ」みたいな企画盤、ないかなあ。

空気としてはこのくらいの折衷感というか。

open.spotify.com

まあこれこそ言い始めたらキリがないですね。


(2) そう簡単にはまとまらない

というわけで、ピアノトリオで三人の会話を楽しむのもなかなかオツなものです。……となってくると、当然話を広げたくもなるものなんですが。まず松本先生、および相川単体のポジションというのは、わかりやすくセッションにおけるゲストプレーヤーということでいけるんじゃないかなと。ソロ回しを想定すれば、ゲストはツーカー度合いで一段下がったところにいるので、あんまりなパスをすると引き継げない。暴走は困惑として返ってくる(大抵ゆずこと縁が暴走するというところでも、楽器のチョイスが噛み合っているようなそうでもないような)。あくまで4人目はゲストプレーヤーであり、トリオを引き連れたリーダーとしての立ち位置ではないわけですね。と、ここまでが「初期ゆゆ式の音楽的解釈もどき」に相当します。

そしてここで話は一変し。相川・岡野・長谷川の三人組について考えだすと、またややこしいことになるんですねこれが。というのも、なんだかんだ会話の性質としては「流れ」の側に身を置いているメインの3人に対し、こちらの3人は「勢い」とか「スイッチ」とか、そういったあまり一貫しない要素が頻繁に顔を出すので。こちらの3人の会話はある意味もっと実験的であり、ある意味もっと一般的でもあるといえましょう。これを例示するのはだいぶ厳しいです。基本クラシックやってるんだけど突然現代音楽になる、というか。……長谷川の突拍子もなさに曲がりなりにもついていけている相川、実はかなりレベル高い。

初期(1年次)はそのコミュニケーションのぎこちなさ、ゆずこたちと対比させたときの異質さが全面に出ていたようにも思われますが、よく考えるとこれは「高校での巡り合い」と「入学以前からの付き合い」という相違に答えが出ている気もします。この相違は、相川たちのほうが「二人でいる」という状況を自然に想定できる、というところにも繋がってくるので、やっぱり重要なポイントとなるわけですね、たぶん。

ここまできたらあとはもう茫洋たるもので。岡野と唯の案件を経てコミュニティが相互作用し始める段階までくると、 もう最初のアナロジーはそのへんに除けておいたほうがよくなります(コミュニティが3人で閉じないので)。具体的なところで言えば、7巻35P「ドレッシングかける」や9巻25P「青いスパゲッティー食べる」あたりのネタしょうか。ここはひとつ、ゆずこたち3人にある通奏低音に基づいて自由に展開するフーガをあてがって、さらに相川たちが別主題として織り交ざる……というようなポリフォニーを想定してみるのも手かもしれませんね。なんだそれは。

まとめ2、ゆゆ式はバッハ。おかしい。もはや何を貼ればいいのかもわからない。
 

とにかく、関係性を音楽に対立させて紐解くとなかなか面白いですよ、という話でした。締まれ。


ゆゆ式は音楽

「と」からの「の」「て(で)」「に」「を」……とくれば、最後は当然こうなるわけですね。よくもまあこれだけ書いたものだとは思います。


そもそも、こうして掘り下げるまでもなく。アニメ化に際して追加したネタが音ネタ(んぱんぱ)だったり、語呂や韻、リズムに身を任せて突っ走る系のネタが散見される(なんつってっつっちゃった然り、でっちぼーこー然り)時点で、先生がリズムを大切にして作品世界を描いていること自体は明白なんですよね。

このあたりの意識がストレートに作品へと反映されているネタとして、2巻97P「ポテトの木曜日感」6巻17P「足首にゃんってなる」などが挙げられるのかな、なんて(言うまでもなく、私はこの2つの表現の感覚に得心がいった側の人間です)。


本当はこのあと音楽云々からいったん離れ、11巻に至るまでに築き上げられた作品描写から、個人的にグッとくるところを紐解くつもりでいたのですが。どうにも長すぎるので、今回はここで打ち止めとしましょう。

stars-have-fallen.hatenablog.jp

参考までに。当初はこちらの記事にも触れるつもりでした、というやつ。ここから作品文法の音楽的解釈に繋げることもできそうだったんですが、無念。


最後に、このテーマなら絶対に忘れられないものをペタリ。
#ありがとうゆゆ式 | Free Listening on SoundCloud
もう5年経ってるんですね……。というか、音雲その他のRemixに触れられてないのは片手落ち感が拭えない。



おあとがよろしいようで。 

 

 

 

P. S.
タイトルは「Menuet sur le nom d'Haydn」の要領。YYSK。
あとコレ。www.nicovideo.jp

ありましたね、ゆゆ式ジャズ。トリオじゃないけど。