「ゆゆ式と常識」の方式、という名を借りた戯言

注:前回の数倍PC向けの文章構成です。申し訳ない。

 

先日投稿した記事にいくつか反応をいただいきました。

ありがとうございます。

 

monochromeclips.hatenablog.com

 

 

一方通行に終わる可能性もある以上レスポンスには過度な期待をかけない、という前提をしっかり反芻してから臨みました。客観的に見れば「どこの馬の骨ともしれない人間が唐突に立ち上げたブログで挨拶もなしに放り投げるだけ放り投げた」という構図ですから、まあ妥当な認識でしょう。……などと強がっておきながら。投稿翌日などはふわふわして地に足が着いていませんでしたね、はい。今思い返しても恥ずかしい。いや、当日も18時を回ったあたりから漸く題材を決めて一息に書ききったような体たらくだというのに何を高望みしているんですかね。そんな大それたこと書かなかったでしょうに。

 

そうです。実はあの記事、ろくに推敲もせずただ一目散に駆け出した結果の産物です。そんなことだから投稿後に何度もちまちま細かい修正を加えることになるんですね。あれだけバーっとノンストップにアウトプットしている以上、空中分解を防ぐのが関の山でした。反省を要します。ではなぜそんな雑文に対してわざわざ補遺を添えるに至ったかといいますと、これは言うまでもなく投稿後になされたいくつかの展開への反応を試みるために他なりません。と、いうわけで。以下いくつかトピックを掲げてまた一つ書き並べていきましょう、ということに相成ります。

 

おそらく私の忍耐力と反比例して文章が雑になっていくことでしょう。

最初から適当ですが。

 

 

――まずは、私の記事のスタンスについて。

 

まずは一つ、本来このブログにおける最初の投稿とすべき宣言をば。

私は今回の記事、考察しているつもりはありません。

“漠然と考えていた諸々をそのまま出力”する、とことわってこそいますが。

実は本文中で一度も自分の文章を指して「考察」とは呼称していないんですよね。

なぜか、というと。私がやったのは、謂わば状況整理でしかないからです。

 

模式的な話をしましょう。

ある事象を点と捉えたとき。

考察というのは点と点を繋ぐ所作として現れてくるのではないか。

これが私の文章をして「考察」と言わしめる気はない、とする根拠です。

あくまで個人の意見ですが。

要するに、私はいくつかの視点からゆゆ式を眺めることで。

「考察」の糸口となる点を提供したに過ぎないのです。

その点を繋げることはろくにしていないんですよね。

 

これは本文を読み直せばよくわかるかと思います。

したくないのか、できないのか。

どうなのかと問われると考え込んでしまいますが。

どう線を引いても「絶対的正解」ではあり得ず(作者じゃない以上は、ね)。

はたまたどう線を引いても繋がっていれば全て正解、とも言えるので。

あまり解答を見出す、ということを意識していないのかもしれませんね。

……こんな話を真面目っぽく書くことになるとは想定外だった。

 

 

――そもそも、common sense とはなんだったのか。

 

まあ突っ込むのも野暮だという配慮からかもしれませんが。

ここにもひとつ大きなブラフがあります。

本文中で提起していた common sense とはどう(ゆるく)定義されていたか。

紐解いてみましょう。

“コミュニティの中に通底したルール”、あるいは端的に、“共通見解”。

これが本文中の common sense という言葉が指しているものと合致しています。

……では、ゆゆ式における common sense とは一体何か。

あれ、何も言及がないですね。

 

実は、これをぼかしたのはその後の皆さんの展開とは違うところで意図的でした。

というのもこの空白は、common sense 下のコミュニティの拡張や変化が。

都度その中身の変質につながる、という議論をカットした結果の隙間なのです。

当初想定の「コミュニティの括り方で common sense が揺らぐ」という話は。

――そもそも、コミュニティが common sense を生じさせるのか。

――はたまた、common sense 下の集団がコミュニティとして成立するのか。

とかなんとか、コロンブスの卵さながらの議論に結びつけられる。

そんな流れを想定して書かれていました。

これはちょっとtwitterで言及してますね。

 

  

で、その流れに乗っかるとそもそもゆゆ式から話が飛躍しすぎるかな、と。

三人だけ言及しときゃいーや、と安直に考えた結果があの隙間の発生でした。

展開を眺めながらこの命題について考えた結果、自分なりの表現をするならば。

三者における common sense とは、「天使の門番」なのかなあ、とかなんとか。

……何言ってんだろ私(だんだん文章が雑になってきましたね。良い傾向だ)。

 

いや、つまり。

「天使が通り過ぎるのを防ぎたい」んじゃないか、という話でして。

展開していくなかで再三言及されていた「コミュニケーション不全」というのは。

コミュニケーション不全を起こしたくない、という見えない力場の下にある以上。

逆説的に存在しないのではないか、と考えるのです。

正確には、連載初期を中心に。ふとしたきっかけで。

コミュニケーション不全に近い状況が生じているのは確かでしょう。

しかし、それを嫌うからこそ冗談としてそれを消化でき。

巻を重ねるにつれそれが洗練されていく、と解釈出来なくもないわけです。

 

……というか。

ディスコミュニケーションといえば5話かなあ、とばかり思っていたもので。

わりとデッサン人形後の展開を引き合いに出す方が多く少し意外でした。

それこそ本文中で、“消化されなかったという事実そのものが次の会話のネタとして昇華される”と。

明文化しておいたものなあ、という。

まあ、5話は3人の間でディスコミュニケーションが生じるというよりは。

common sense 外に横たわるディスコミュニケーションを描いている話な気がしないでもないので。

ここで出すとややこしくなると言われればさもありなん、と思います。

 

――で、「天使の門番」の話なのですが。

要は本当の意味で不慮の事故的な沈黙が。

彼女たちにとって一番のディスコミュニケーションなのじゃないかな、と。

ほら、間髪入れない唯の叫び型突っ込みが増えた、とか仰ってる方もいましたし。

どうなんでしょうね、そこのところ(だからぶん投げるのをやめろと)。

 

あ、そういえば。なぜわざわざ共通見解という言葉を一度は明記しつつ。

common sense という表記を主眼に据えたのかというと。

単純に、それそのもの「(一般)常識」という熟語的語義と。

これまたそのものすんなり読み下した「共通の感覚」という意味で。

意味の重なり合いがスッと入ってくるかな、と考えたからです。

これを断らなかったのはミスだったかもしれないなあ、と今になって思います。

いや自明っちゃ自明なんですが。

 

 

――見切り発車はしっぺ返しを食うので控えましょう。

 

最後にこれ。もはや何について書くのかすら見えてきませんね。

えー、まあ端的に言えば。

アニメを一周することも、原作を読み返すことも。

どころか先人の歩みを振り返ることもなく。

一念発起でいっちょやったるか、というムーブは。

後で頭抱えることにしかならんので控えましょうね、という話ですね。

 

……いやあ、さすがに。

一式もライフログも持ってるのに。

アニメ前半は全て1年時の話なので連載初期、とか。

アニメは原作からある程度時系列ずれて再構成されてる、とか。

色々引っくるめて全部忘れてたのはいただけなさすぎるなあ、と。

頼子先生の話とか、書いてある本筋は変わらないからまだ良いんですが。

呼称に面食らう(アニメ1話)のとまんざらでもなくなってくる(アニメ4話)のが。

……よりにもよって同じ月の連載だったのを確認したときには。

呆れるとか泣きたくなるとか通り越して寧ろ笑い転げてましたね。

あな恥ずかしや。

 

念のため、本筋は変わらないというのは。

頼子先生との common sense の成立を頼子先生の心情描写に落とし込む。

これ、三人は知り得ない情報だしゆゆ式的には特殊なパターンよね、という話。

とはいえ、原作のスパンだと一瞬で広まったようにも見えるので。

引くに引けなくなったのを好意的解釈に落ち着けただけ、かもしれません。

……その場合、三人の律儀さ如何によっては。

ほんの少し、心の奥底で何かがちくちくしてるのかもしれませんが。

さすがに無いでしょうかね。

それこそ、そうなれば三人側からcommon sense を取りにいってそうです。

 

あ、でも。

common senseからディスコミュニケーションに話を広げなかったのは。

2013~4年あたりを大波として(アニメの影響力を思い知りますね)。

現在に至るまで語り続けられている印象があったからです。

今更大手を振って出せる話があるわけでもないしな、と。

 

……と思ってたらこの話が一番盛り上がっていたようで。

確かに、重要なことは何度言っても重要ですし。

何より、大意は同じでも一人一人表現はことなりますからね。

これはこれで、忘れちゃいけない精神だなあという思いを新たにしました。

何の話だ。

 

 

――終わりよければなんとやら。

 

……と、いうわけで。

これまた長々と書き連ねた追記なのか補遺なのかすら怪しい文章も。

そろそろネタが尽きた感が否めません。

正直、誰が読みたいのかすら掴めてませんが。

 

とにかく、これを書かずに年を越す場合に思い至ったとき容易に想像された元旦における寝覚めの悪さだけはどうしても避けたかったので。今の手元にあるカードだけは全部場にさらしておこうかな、と決心した次第です。あれ、これまた一念発起一発勝負パターンじゃないか。それでいいのか。よくないな。まあ、書き始めてしまったものは仕方がないですね。次の機会はちゃんと練ってから書きましょう。

 

最後になりましたが、以下の記事に感謝を。

 

stars-have-fallen.hatenablog.jp

 

本当は他にもありがたいコメントや示唆に富むツイートが山ほどあるんですが。

いざ貼るとなるとスペースの都合上とんでもないことになるので控えます。

 

 

では、お疲れ様でした。

次はいつになることやら。

挨拶もろくにしないうちから記事が二本。

なんかもう挨拶いらない気がしてきた。

 

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P. S. 一番唸るネタは四ゾロですが、一番波長が合うネタはめっちゃビーバー。

P. S. あと無免。